大井町駅の北側を東向きに流れていた水路がゼームス坂に沿って北に向きを変え、目黒川まで流れていたと思われる地域です。
6.ゼームス坂 ⇐
薄い青の線が品川用水や関連する川などの流路を示しています。
この地域には大きく2本の水路があったと思います。
1本は大井町駅のすぐ北側を大井町線と平行に流れてきて、ゼームス坂を横切って北にカーブし、ゼームス坂と第1京浜の間を進み、目黒川に流れ込んでいたルートです。
もう1本は三ツ木通りの川が東向きに流れ、浅間台小学校そば(上の地図で「文」とあるところ)の台地の下を進み、ゼームス坂の手前で北にカーブして目黒川に流れ込んでいたルートです。
残念ながらJRの車両センターのために大井町駅一帯の権現台の台地が大きく削られ、下神明駅の先、東海道線の東側に至るまでの水路の跡は全く観察することができません。それ以外の場所についても平地であることから工業化によって早くから埋め立てが進んだらしく、痕跡がほとんどありません。
とはいえ、住宅地などでは痕跡と言えそうなものも見かけられるので、それをつないでいけば水路を推定することもある程度は可能かなと思います。特に上に書いた2本のルートのうち1本目のほうは他の地域と似た様子の路地を見ることができるので、根拠は少し弱いですが紹介してみたいと思います。
JR車両センターができる前にどのような水路があったのかは古い地図などを当たるしかないと思いますが、下神明駅とゼームス坂の間が権現台と呼ばれる台地だったことからみて、下神明駅を過ぎて権現台踏切に向かう流れから分岐して区役所のあたりを通り、JR車両センターの上を越えて、東海道線の東側の崖の上に続いていたのだろうと想像してみました。
ちなみに、今は大井町駅近くの低いところに建っている蔵王権現社(権現様)は昔はJR車両センターを削る前の権現台の高台にあったという資料があります。JR車両センターを作るために今のところに移設されたらしいです。移設される前に建っていたときの背後をゼームス坂に向かって用水が流れていたのかもしれません。
さて、東海道線の東側の崖の上から調べてみます。
崖から東向きに延びる次の路地あたりが水路跡の候補です。大きな木が残っているところがポイントです。
この路地を付き当たったところの丁字路あたりに台地の端があったようです。次の写真で右の路地から先が下り坂になっています。
その下り坂がこれです。いい感じに水路感があると思います。
この坂を下り切ったところの右側には次のようなクランクもあります。急な上り坂になっているのでここにも段差があったようです。
ここを登らずにさらに左(東)のほうへ下っていくともっと段差がはっきりしてきて、小さい階段もあります。
今のゼームス坂は人工的になだらかになるように作られた坂なので、権現台の段差を感じることができるのはこういう裏の路地になります。
さらに下っていくと次のような角に突き当たります。ちょっとした隙間が正面に続いているので、水路はこのまままっすぐ流れていたのではないかと想像します。
この隙間を延長していくとゼームス坂手前の路地に続きます。
ちなみにこの路地は写真手前で行き止まりになります。水路の跡に行き止まりは付きものです。
そしてゼームス坂を横切ると、ちょうど反対側の位置に不思議な路地が現れます。建物の間の路地というよりも公園のようにして残した路地といった感じですから、いわゆる「緑道」と呼ばれるタイプの路地なのかもしれません。
この路地を抜けると有名な「ゆうれい坂」と呼ばれる急坂に向かって下っていきます。
ここまでの水路の跡を地図上に描いてみます。
ゆうれい坂を越えて少し行くと小さい公園(南品川広場公園)があります。小さい公園も水路の跡の付き物です。この公園の中からゆうれい坂方向を振り返ると、ここに小さな崖があることがわかります。写真では右側が高くなっています。
水路はこの崖の縁を流れてきてここで崖沿いに右に曲がる流れと手前に下ってくる流れに分岐していたんじゃないかと想像してみました。公園のこの位置で後ろを振り返ると、その流れ落ちてきたほうの水路の跡らしい路地が続いています。
これがまた都合よく行き止まりの路地なんですね。水路の跡っぽさが満点です。
一方、崖の上を辿っていく流れがどうなっていたかを追ってみます。
公園の向こう側は次のようになっています。はっきりとした崖です。
そしてこの崖の正面(写真では左)方向に行き止まりの路地があります。ここが水路だったのだろうと想像しました。
この路地の延長上の狭い路地の塀に通路の跡も見つけました。この写真の塀の真ん中に妙に凹んだところが見られます。昔は水路上の路地だったものを塞いだ跡なのではないかと考えてみました。
そしてまた小さい公園(南品川さくら公園)があります。
さくら公園を出て第一京浜のほうに進みます。奥にさつき児童遊園が見えてきます。
他の路地を横切った向こう側にさつき児童遊園があります。
この公園の左側をいかにも水路の跡っぽい形で路地が延びていきます。
この路地は北方向にカーブしていき、ゼームス坂と第一京浜に挟まれた地域を北上していきます。
まず「裏五の通り」と呼ばれる路地を横切ります。この通りは青物横丁駅から斜めに延びて浅間台小の前に至る通りです。ちなみに明治までこの辺りが「南品川宿 裏5丁目」と呼ばれていたことが由来だそうです。
この「裏五の通り」沿いにある地域センター横の松下稲荷神社の左側に路地があって、これが水路の跡だと考えました。
これを入っていくとすぐに右折します。角の段差が意味ありげです。
右折すると大きなクランクになっています。
クランクを抜けると少しきれいな石畳があって、路地はそのまま北に向かいます。
横方向の路地を越えて進みます。
途中には水路の跡に付き物の小さな公園もちゃんとあります。
やがてマンションにぶつかって一旦途切れますが、向こう側に回り込むとちゃんと延長線上に路地が続いています。
ここまでのルートを地図上に示すと次のような感じです。
そしてぐにょっと東に曲がったゼームス坂を再び横切ります。細かいことを言えばここで右(東)にも分岐していて、京浜国道を横切って願行寺の前で目黒川向きに曲がり本光寺の東側を通って目黒川に流れ込んでいたという情報(1845年の絵図)もあります。
この先の路地は通り抜けられそうもないですが、奥まで行くと左に曲がって進むことができます。その先に不思議な路地が現れます。
品川のマニアックな風景として有名なスポットですが、隣り合った道が上下に分かれているところです。しかもどちらも行き止まりです。
このどちらかが水路の跡だという説明があるのですが、どちらなのか分かりません。もうすぐ目黒川に流れ込むところなので、低いほうが水路の跡であっても不思議はありません。
この路地は行き止まりなので迂回して反対側に行ってみると、東海寺という大きなお寺への道に出ますが、ちょうどこの水路の跡の延長線上に横断歩道があります。水路の跡に付き物です。
ここまで来ると目黒川まであと数10mです。残念ながらどのあたりで目黒川に流れ込んでいたのかは痕跡を見つけることはできませんでした。
最後に「7.目黒川」の痕跡を探してみます。