4.池上通り

 大森に向かって分岐しながら低くなっていく斜面を東京湾のほうに流れ落ちている地域です。 昔は東海道本線のすぐ東側に海岸があったのでそこに流れ出ていたのでしょう。

   4.池上通り 
    5.下神明
     6.ゼームス坂
      7.目黒川
出典:国土地理院電子国土Web(矢印などは加工部分) 

 薄い青の線が品川用水や関連する川などの流路を示しています。

 この地域には大きく3本の水路があると思います。

 1本は西大井駅から南に進んで大森貝塚の南側で池上通りと東海道線を越えて東京湾のほうへ向かうルートです。

 もう1本は光学通りを東に進み、途中で南向きに曲がって1本目のルートに北側から合流するルートです。 

 さらにもう1本は2本目のルートをそのまま東に進み、池上通り、旧池上通り、東海道線を越えて東京湾のほうへ向かうルートです。

西大井 ~ 大井・原の水神池 ~ 大井水神公園

 スタートは「3.西大井」の最後に出てきた西大井駅そばの踏切を渡ったところです。光学通りを東に進まずにすぐ南向きに曲がります。この路地が水路の跡だという説明を見かけますが、「3.西大井」のほうで書いたように少しだけ疑問を感じています。

 この路地を入ってすぐのところは縦横に細い路地が入り組んだ構造になっていて、どちらからどちらに流れがあったのか分かりにくくなっています。

 こんな具合に妙にずれてつながっているところもあります。水路の跡を無理矢理道路にするとこんな感じになるのでしょうか。

 ここを抜けると南北に延びる西大井本通りに出ます。少し進むと左側にコンビニが見えてきますが、ここで水路は左(東)に曲がって大森方向に流れていたと言われています。

 ただ、近くをうろうろしていたら、この西大井本通りの1本東側(写真では左側)にそれと平行に古そうな路地があり、こちらのほうが水路の跡っぽい空気を感じます。

 とにかく、コンビニの手前を左に曲がります。すると有名な大井・原の水神池が現れます。ここに水が湧いていたのだそうです。今も池にはたっぷり水があるので湧き続けているのかもしれません。

 池の左側の道は登り坂になっていて、池はその南側の小さい崖の下にあります。池を裏から覗くと段差が観察できます。

 この池の背後の上り坂もいい感じの路地なので少し先に進んでみます。この路地はまっすぐ東に延びて池上通りまでいきますが、その途中の一番高い辺りに三峯神社があります。

 かわいらしい社です。注目すべきは、今通っている路地に背を向けているところです。ということはこの路地が水路の跡であった可能性もあるのでは?といってもその水路がどこから流れてきていたのかは何も言えることがないのですが、大正の地図ではここに水路が描かれているので根拠が全くないわけでもないです。

 大井・原の水神池に戻って、池から流れ出ていた水路を追ってみます。

 少しだけ南に進んで、さきほどのコンビニの南側で左に曲がっていた水路(次の写真)と合流して東に流れていったか、またはこの北寄りに平行して流れていたようです。

 この辺りの等高線を描いてみると、池のそばから小さい谷が始まるので、この谷に用水と平行な川があったと推定したほうがスジが良さそうです。用水は谷の北向きの斜面のできるだけ高いところを選んで流れていたことも分かります。

出典:国土地理院電子国土Web(矢印などは加工部分) 

 例えば次の写真は用水の跡として有名な場所を撮ったものです。右側の水路のほうが高いところにあることが分かります。

 どちらにしてもこの先で池からの流れと用水の流れが合流して鹿島庚塚(かしまかのえづか)児童遊園の西側を通過します。その先は遊歩道化されています。

 そして遊歩道(水路の跡)はこの先で池上通りにぶつかります。

 池上通りを渡ってちょうど反対側にいくと、そちらにも水路の跡が続いていて、東海道線の線路に向かって下っていきます。

 よく他のみなさんからも紹介されていますが、この水路跡は東海道線の手前で途切れます。

 でも一本南側の路地に入って東海道線のそばまで行くと、ちゃんと水路に沿うように跨線橋がありました。跨線橋の上からはさきほどの行き止まりのところが良く見えます。


 跨線橋を渡ると、東海道線に沿って南北に細長く延びる大井水神公園です。この公園の中で東海道線に沿って歩きながら水路の形跡を探していたら、その間に水路があったことを意味しているかのように立つ2本の木がありました。しかもその木の間に立つと線路の方向から大きな水音がします。今も流れているのでしょうか。

 さらにこの南北に細長い公園の反対側(海側)に行ってみると、そこにもマンホールがあって、これも大きな水音がします。

 マンホールの正面に細い路地が見えますが、これもおそらく水路の跡でしょう。ビルの間をあと少しだけ進んだところで途切れます。

 大森までのルートはこれで探索を終わります。

西大井 ~ 瀧王子稲荷 ~ 鹿島庚塚児童遊園

 こちらは水が湧いていたことで有名な瀧王子稲荷神社を通るルートです。

 西大井駅を通過して光学通りを東に進みます。

 ここで水路は南に曲がって今のニコンの工場の敷地を横切っていきます。昔はこの敷地がもう少し小さかったので敷地の縁を流れていたようです。

 光学通り沿いに水路の跡があったことを示す有名な石碑があります。

 この辺りで右(南)に曲がっていた様子を想像しつつ、ニコンの敷地を横切った先に回り込んでみたら、唐突に2本の木が壁沿いに現れました。これが水路の位置を示しているのだと考えてみました。

 この2本の木の先(右のほう)には道がないのですが、この右側の延長線上を調べてみたらちょうど真南の位置にマンホールがあり、大きな水音がしていることに気付きました。これが水路の跡を示しているのであれば、次のように流れていたことになりそうです。他の資料では道なりに流れていたと説明されているので、これは妄想にすぎませんが。

 とりあえず細かいことは気にしないことにして、さらに東に進みます。

 路地の上に大きな木と広い歩道が現れます。いかにも水路の跡です。

 この右側の歩道はおもしろい形になっていて、それ自体が大きく傾いています。水路とどのような関係があるのかは分かりませんが。

 次の交差点には有名な「細長い三角形の分離帯」があります。

 さらにまっすぐ進むのはあとにまわして、ここは右(南)に曲がって瀧王子稲荷神社のほうに進みます。

 瀧王子稲荷神社までは特に水路を感じさせるものは見つけられません。

 瀧王子通りを過ぎてすぐ右側に瀧王子稲荷神社があります。

 さらに進むと左側に斜めに入っていく水路跡の路地があります。この路地は池上通り沿いの交番のところまで続く路地です。

 この路地に入らずにもう少し進むと、すぐまた同じように斜めに入っていく2本目の路地があります。次の写真の黒い車のすぐ向こう側です。2本目の路地も交番のところに続きます。

 この2本の路地を地図上で見てみると、よく似た路地で、どちらも水路の跡のように見えますし、実はどちらも水路の跡である可能性もあります。

出典:国土地理院電子国土Web(矢印などは加工部分) 

 大正の地図では1本目(地図では右側)の路地に沿って水路が描かれているのですが、2本目も違和感ありません。

 実際に歩いてみるとどうかということですが・・・。

 1本目を入ってみます。

 いい感じに水路跡っぽい路地です。

 交番のところに出ます。

 2本目の路地に入ってみます。

 こちらもいい感じです。通り抜けて交番の横に出ます。

 なんとも言えないです。他の資料などを調べるのは将来の課題ということにして、一応古い地図を信じて1本目だけが水路だったものとして先に進みたいと思います。

 交番のところで水路の跡は途切れているので、池上通りを使ってその延長線上に回り込みます。

 さきほどの1本目の路地の延長線上には次の路地があります。

 一方、2本目の路地の延長線上は次のようになっています。

 どちらも水路の跡っぽさがありますが、ここは1本目に絞っていきます。

 少し南に進むと新しい道と交差しているところがあります。

 新しい道が交差していなかったころは水路跡は下り坂だったのでしょう。この交差のすぐ向う側は急な階段になっています。小さい滝のようになっていたのかもしれません。

 そして鹿島庚塚児童遊園の裏側につながります。

 細かいことですがここで路地は右に曲がっていますが、水路はこの辺りで左寄りに流れていたそうです。

 この公園で大井・原の水神池からの水路と合流します。

西大井 ~ 立会川

 最後は西大井から流れてきて、瀧王子稲荷神社のほうに曲がらずにそのまま東に進むルートです。

 瀧王子稲荷神社のほうに曲がらずに進むとすぐに北向きの路地があります。この路地を入ると住宅の間に不思議なクランクがあります。

 このクランクを左(北)のほうに抜けると大きなマンションがあります。

 昔はお屋敷があって、このマンションの西側の道路沿いの広い歩道スペースには堀のように水路が引かれていたようです。ここで水路は行き止まりです。

 さて、さきほどのクランクのところを右のほうに行こうとすると、今は行き止まりになっていますが、以前はそこも水路が続いていてまっすぐ東京湾のほうに延びていたようです。

 延長線上をたどってみると、水路の跡らしき短い路地がありました。

 さらに延長線上を辿ると、水路の跡らしきフェンスがありました。

 ここで一旦池上通りまで抜て、、池上通りの西側を見ると、ここにもちょうどクランクの延長線上に路地があります。

 この路地に進んでみると、途中でロープが張られていて通行止めになっていました。まだ奥のほうに続いていそうですが。

 池上通りの東側にも同じ位置に水路の跡らしき路地があります。

 この路地は一連の品川用水跡の探索で見つけた水路の跡の中でも、最大級に長くて深くて水路っぽさが感じられる路地だと思います。

 途中、右側が高くなっていて階段が作られていたりします。

 進むにつれて両側の壁が高くなっていきます。

 見通しも悪いし、一本道なのでだんだん心細くなってきます。

 200メートルほど進むと東海道線の少し手前の旧池上通り(他にもいろんな呼び名があります)に出ます。ホッとしてしまいます。

 東海道線の線路までもう少し近寄れそうな隙間が見えますが草木で覆われているのであきらめました。

 (追記)後日、たまたま通りかかったところ、この隙間の草木が整理されていた(あるいは単に枯れただけ?)ので、東海道線のすぐ横に突き当たるまで行ってみました。突き当り左向きに開渠が続いているのが見えます。

 ここから先がまたちょっとおもしろいので、まず等高線で示したいと思います。

出典:国土地理院電子国土Web(矢印などは加工部分)

 西のクランクのところから池上通りを越えて狭い路地を下り、旧池上通りまで出てきたところです。その路地の続きは住宅と東海道線の間を抜けて「マンホール」と書いたところの2つ目のクランクまで続いているようです。

 2つ目のクランクのところには金網が張ってあります。この左奥が東海道線です。

 金網の隙間から覗くとマンホールが確認できます。しかもとても大きな水音がします。

 想像ですが、東海道線を挟んだ向こう側はすぐ立会川(しかも暗渠ではなく普通に流れている立会川)になっているので、このマンホールのところで東海道線をくぐった水路が立会川に流れ込んでいるのではないでしょうか?

 (追記)後日見るとこの金網にからんでいる草もきれいになっていて(ありがとうございます笑)マンホールから向こうがよく見えるようになっていました。線路沿いの開渠が見えます。

 このマンホールの向こう側も覗けました。

 マンホールの下に流れ込んでいるようです。

 大正の地図によれば、このマンホールにはもう1本流れ込んでいた水路があって、上の地図にも書いたようにすぐそばの作守稲荷神社のあたりから流れてきていたそうです。上の地図に描いた矢印のところ(作守稲荷神社の後ろ側)はわずかに谷になっていて、次の写真を見ると作守稲荷より先で道路が凹んでいることが分かります。

 作守稲荷神社は谷のへりのようなところに建てられていています。神社の後ろ側の斜面を覗き込んでみると次のように水が湧き出ていても不思議はない段差がありました。やっぱり、神社の裏に水路あり、ということでしょうか。

 次はちょっと戻って「5.下神明」です。